

衣食住。生活にまつわる様々なカテゴリーを自分の手で作り、人を迎え入れるケロちゃん。荒地を切り開き、服を縫い、野菜を育て、料理をする。ケロちゃんはまさに日本でいう百姓だ。
ある日の午後、さっとお茶とマンゴーをもってきてくれたり、ココナッツミルクと餅米のおやつを作ってくれたり、この1週間で私の頭の中は忘れられない一口の記憶で満ち満ちだ。朝のお粥、キノコのちまき、チャーハン、ココナッツミルクのスープ、揚げ豆腐の炒め物、パパイヤのサラダ…。毎食毎食、野菜とハーブとスパイスが口の中で華麗なシンフォニーを奏で、脳ミソに眠る未開発の感覚を開拓してくれる。
食べることには、お腹を満たす以外に、たくさんの役割がある。それと、食べ物はただ美味しいか不味いかの二元論ではない。舌で味を感じた後、内臓で感じ、血液を通じて全身で感じるもの。野菜が根を張った土や育てた人、料理した人の愛情を体の内側で触れて感じる。食べた後の腹の坐りがなによりも肝心。単なるうまいかまずいかの味の話を飛び越え、宇宙と大地にどれだけ触覚を伸ばしたか、という上下を含めた感覚の域が存在する。そして、食後いいの腹の坐りは、必ず舌の上での感動の後、遅れてやってくる。満腹の喜びの先にある、土と太陽のエネルギーをたっぷり吸収した野菜が、根を張り感じていた喜びと当に同じようなものが体中を駆け巡る。
ケロちゃんは単なる料理人でなく、人にも土にも良いエコシステムを理解して実践している人だった。日本ではまだ「ファームトゥーテーブル」というと、ファインダイニングみたいな高級店が持っているコンセプトという印象が強く、なんかすごいことになっているが、ケロちゃんのやっていることはもっと生活的な目線のことで誰にでも真似できそうなことだった。それを20年も前から、手の届く範囲で人を迎え入れ続けているから感嘆した。もちろんケロちゃん一人ではできない力仕事もあるけど、そんな時はボランティアの人や地元の人に助けてもらっているそうだ。自然に囲まれた場所で畑をやりながら料理をして、猫と一緒に縫い物もする。ケロちゃんを見ているとそんな暮らしがたまらなく羨ましく思えた。
