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コタギリ 銀河の谷

2024年9月9日

読了時間:7分

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目覚ましが鳴り出す前に目が覚めた。いつもは低血圧で朝起きるのがあまり得意な方ではないが、旅中は気分が昂っているからなのか目覚めがいい。朝を迎える場所が、布団でいつまでもゴロゴロしているのは勿体無いような気がしてくる。今日はバスに乗りコインバトーレを出て、リシと待ち合わせのコタギリという街まで行く。その前に朝ごはんをと思い、部屋を出た。


道路には通勤・通学の人がひっきりなしに行き交い、この場所のいつもの風景に紛れながら街を適当に歩き始めた。間も無くすると目の前にチャイ屋さんが現れた。屋台ではなくドトールのような佇まい。なんでもいいから温かい飲み物と軽食をお腹に入れたいと思い店へと入った。チャイを注文したが、席に座っている親子がホットサンドを食べているのを見て、同じのを食べたくなって頼んだが、「もうパンがない」と注文を半分断られた。まだ朝の8時半、絶賛モーニングタイムの真っ只中だというのに品切れとは、都内のドトールのようにはいかない。仕方なくチャイだけ静かに啜った。朝の空腹にスパイスとカフェインのパンチが食い込んでくる。身体が徐々に暖かくなり、しゃきっとしてきた。


「日本から来たの?」

向かいの席に座っている親子のお母さんが話しかけてくれた。インドに支部がある日本の企業で勤めたことがあるそうで、息子も日本の文化が好きでいつか日本へ行きたいそうだ。朝の一杯のチャイをお供に色々話してくれた。去り際、一緒に写真を撮ってインスタを交換した。いつか日本で再会できるだろうか。こうして一人でいると至る所で目の前の人が話しかけてくれるのも、一人で旅をするいいところ。いつも気楽でいれる。


そういえば昨日、コインバトーレに行く飛行機の席の隣の男の人とも少しだけ話した。

「どこからきたの?」

「日本だよ。君のほうは、何しにいくの?」

「ヨガのアシュラムにいくんだ。」

「それはいいね!何日間ぐらいいくの?」

「1日だ。」

「え?たったの1日だけ?」

「そうだ。」

「そうなんだ、、、。ずいぶんと短いね。」

という私の一言を境に会話は、小さな雲が青い空に染み込むように消えてしまった。アシュラムにせっかく行くなら最低1週間ぐらいはヨガ漬けにするもんだと思っていたけど、1日だけの人もいると知り、私の中でのインドのアシュラムというヨガの聖地を彷彿させる張り詰めた言葉の敷居がかなり緩るんだ。


さて、朝のスパイスドリンクを注入し、通りすがりのカフェでパンをテイクアウトして、ホテルに戻り朝ごはんを済ました。荷物をまとめ、バス停へと向かった。バス停に着くと、スマホを取り出すよりも先にそこら辺の人にコタギリ行きのバス停はどこか聞くけど、大まかな方向を指さすだけで、結局どれかわからない。そしたらまた目の前の人に聞く。そうして少しづづ奥へと進んでいく。声をかけた人の中には「タクシーなら2時間で着くぞ!2000ルピーでどうだ?」とふっかけてくる奴もいたが、軽く受け流し、バスの停留場所を探すことに集中した。バス停の一番端っこまで来た。そこにいた人に話しかけると、彼もコタギリに行くという。この人についていこう。



ベンチに座りバスを待っていると、バス停の塀のそばに何か動くものを見つけた。あ、山羊だ。すぐに分かった。5、6頭の山羊が牧場にいるかのように悠々と草を食べている。山羊が草を食べるのは当たり前だけど、バス停の草を食べるのは、三年間山羊飼いをやった私にとって当たり前の光景ではない。野良犬ならぬ、野良山羊かと思い、コタギリに行く彼に聞いてみると、ちゃんと飼い主がいて近くにいながら面倒を見ているらしい。街でも山羊を放し飼いで飼えるという事実を目の当たりにして、私の知っている山羊に関する知識など氷山の一角でしかないのだと思った。


街中のどこに山羊を放ってもゆるさせれるこの国が、昨日よりも愛おしく思えた。ここの山羊はコインバトーレの街中の草を食べてくれる除草隊として立派に役割を担っている。私の山羊好きを察したのか、山羊たちは徐々にこちらへゾロゾロやってきて、ベンチの目の前の階段に座り込み、細い目でムシャムシャと反芻を始めた。世界に共通する山羊たちの呑気な顔の後ろを次から次へとド派手に飾ったバスが横切っていく。


山羊とバス。日本にいる限り、全く交わることのないであろうこの二つを一つの視界に収めることができたことに満足しながらニヤニヤと山羊を眺めていたら、あっという間に時間が経ち、コタギリ行きのバスが到着した。荷物は座席まで持っていくスタイルのようだ。席に着くとすぐにおっさんが運賃をもらいに来た。値段も知らずに乗った故、いくらだろうと案じていたが、値段はたったの150ルピー(300円)だった。


席の半分ぐらいを埋めたバスが発車した。窓ガラスがない分、外の風がダイレクトに吹き込んでくる。

と思ったらすぐバスは停まり、運転手のおっさんはどこかへ行ってしまった。何かの手続きだろうか。乗ってくる人は人はいないようだ。15分ぐらい経って、再出発。

と思ったらまたすぐにバスは停まり、今度は暗い倉庫に着いた。おっさんは車から降りるなり、ホースとブラシでフロントガラスを洗い始めた。出発前の洗車か。人を待たせることになんら引け目を感じさせない素振りに、逆に何の感情も生まれてこなかった。車をピカピカにして、いざ出発。

と思ったらまたすぐにバスは停まり、今度はガソリンスタンドについた。ガソリンを補給し、先ほど水で洗ったフロントガラスをタオルで拭き始めた。誰一人文句を言わない車内の空気を察するに、これは普通のことなのだろうと分かった。バス停を出発する前に全部済ましおくのは日本だけなのかもしれない。



そこからは何事もなく3時間ほどバスに揺られた。人は徐々に増え、通路に立つ人がいるほど超満員になったバスは緑の山を超え、谷を超え、ニルギリ地区のコタギリという小さな街に到着した。


周りにビルは一つもないが、バス停の向かいの道路には人やバイクがびっしりと交差していて、田舎の都市という感じがした。バスを降りるとリシが待っていていくれて、すぐに再会できた。バイクの後ろに跨り、彼の住む山中の家に向かった。店が軒並ぶ通りを抜けると民家が続く。道路には数十メートル毎に何かしらの動物が人に紛れて歩いている。犬、猫、猿、山羊、牛、馬、誰一匹として鎖に繋がれることなく、人のようにフラフラと歩いていたり、我が物顔で道の真ん中に座り込んでいる。牧場が街になったのか、街が牧場になったのか、いずれにせよ二つが一つになるとこうなるのか、と感心した。道路を飛び出す動物は、人間が気をつけてさえすれば成立する。難しく考えすぎていたけど、地球全体が人間だけのものでないことをはっきりと示していて、腑に落ちた。



バイクで10分も離れれば、あっという間に人気はなくなり、細い道を蛇行しながら、山を登っていく。低木に埋め尽くされた山々を見下ろすことができる高台まで来た。

ギャラクシーバレー。銀河の谷と書かれた看板に従って、バイクはさらに山の奥へと進んでいく。木々が鬱蒼と茂る日本の里山と違い、ここの山は見渡す限りお茶の木で埋め尽くされ、どこにいても視界が開けている。


一面青く茂る茶の木の間に、時たま発色のいいピンクや黄色の服を着た茶摘みの女性たちが立っているのが見える。収穫した茶葉がパンパンに入った半畳ほどの袋を頭の上に乗せて、斜面を上がってくる女性とすれ違い様に目があうと、笑顔をこちらに向けてくれ、嬉しくなった。収穫したばかりの茶葉の甘い香りが鼻を掠め、一面お茶の山岳地帯にいるというだけで気分が高揚した。



ここ2年ぐらい、ある台湾人の友人との出会いをきっかけにお茶に夢中になり、毎日欠かすことなくお茶を飲むようになった。体の水分を全てお茶にしたいぐらいお茶にゾッコン中の私にとって、これほど素晴らしい環境はないように思えた。朝ホテルを出発して約5時間、最終交通手段のバイクが到着した場所は、お茶が永遠と茂る山の斜面の上だった。標高は1600m、ここがリシの自宅、兼キノコハウスだ。


敷地を囲うように電柵が張られている。これはバイソンとバッファローを寄せ付けないためだそうだ。土地が違えば獣害の種類も違うのか。バイソンとバッファローの違いわからなかったけど、とりあえずどちらも野生の牛のような姿を想像しておいた。


斜面の上にある敷地は、段々に平らになっており、上から貯水池、畑、住居と乾燥室、一番下にゲストルームときのこ栽培用の温室が併設されている。地下水を汲み上げるための井戸、ハウスや畑に使うための貯水タンクが整備されていて、敷地内の電力は全てソーラーパネルによる自家発電で賄っている。悪天候で発電できない時だけ、送電線を伝う公共電力を使うそうだ。ガスはタンクを購入し、配達してもらう。オフグリッドを実現した、自宅兼キノコハウスに感嘆した。


標高1600mの銀河の谷と名付けられた山の上に移り住み、リシは何を企んでいるのだろうか。

料理人から生産者へ、ベンチャーファームの可能性に迫るインドの日々が始まった。



2024年9月9日

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