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パーイの農

2024年9月6日

読了時間:3分

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だいたいどこの農家・農地にも牛、山羊、馬がいた。畑はちょうどニンニクの収穫が終わったばかりで茶色一食だったが、にんにくー大豆ー米を一年に一箇所で作るのが基本のサイクルのようだ。年中温暖で乾燥と多湿の二季を繰り返すこのエリアでは、温室がなくとも一年中野菜のラインアップはほぼ変わらず、月毎に果物などの品種が変わる程度で、バナナやマンゴーが市場から途切れることはない。


牛は農家の追加の収入源として大切な役割を担っている。子牛を育て大きくして、子どもの就学のタイミングなどまとまったお金が必要になった時に備えている。毎日草を食べさせ健康であれば、牛はお金になる。牛を持っていることが普通の農家にとって当たり前で、人の数よりも牛が多い山間地の農村は、高度経済成長する前の日本の原風景を見ているかのようだった。バイクで道を走れば、道路脇で草を食べているか座ってムシャムシャ反芻している牛や山羊、馬たちと目が合い、自然と笑顔になってしまう。





農業の機械化・効率化が進むと農耕と酪農ははっきりと区別され、分業されるようになってしまったが、本来は農耕のための家畜であり、家畜のための農耕でもあり、二つを両立させることが理にかなっていた。家畜は雑草を食べ、自らを肥やすばかりでなく、土壌の肥料を作り、作物をも育てる。そして大きくなったら肉になり、農家の家計を支えてくれる。植物と動物と人間のオーガニックな協力関係がパーイにはまだ色濃く残っている。とはいえ、もちろんここでも農薬などのケミカルを使うのは主流で、米や大豆の栽培期にはドローンで農薬を散布する光景もあるそうだ。病気を予防し、収量を見込み、収入を確実に確保することは国を問わず農家にとって生死にかかわることだ。しかし、ケロちゃんはせっかくのきれいな空気を汚されるのがイヤで、周囲で農薬を使っていない土地を探し、今の場所に辿り着いたそうだ。


タイの農家の平均月収は日本円にして4万円以下。そんなギリギリで生活している人たちがリスクを負って、無農薬に転換することは容易ではない。もし、収量が減ってしまったらギリギリの生活はアウトになってしまう。農家はいつだって大きなリスクと向き合っている。自然は惜しみなく恵みを与えてくれるかと思えば、時に容赦なく全部攫って行くこともある。農法を非難することは誰にでもできる。無農薬のものを買うことは気持ちとお金があれば簡単にできる。でも、言ってるだけ、買ってるだけじゃ現状は然程変わらないのが事実。


農薬が環境や体に害があることは間違いないし、無農薬のものを買うことはとても意味のあることなのは確か。しかし、それでは資本主義の犬と化した消費者であることに変わりはない。自分の食生活は変わっても、消費スタイルが変わっただけで、依然として消費者のままだ。買うだけでは足りない。自分で農薬を使わずに何かを育ててみて、それがどういうことなのか初めて分かることがたくさんある。


大切に育てた実を虫に食べられたり、風に薙ぎ倒されたり、猪にメチャクチャにされたり、日々様々なイベント事が起きる。それでもめげずに知性を働かせ、明日も生き残ったものたちを守っていかなければいけない。無論、プロの農家ではなく自給のための草農家なら収入に直結する問題にはならないため、失敗した時の落胆に金銭的損失は含まれず、むしろ失敗こそが学びであり、学びこそが収穫物と捉えることができる。


全部じゃなくてもいい、ケロちゃんのように自分で普段使うハーブや植えて年月が経てば実がなる果樹だけでも自分で育て、無農薬栽培の実践をすること素人でも始められる。社会問題の一つとして農業の未来が危惧されているが、すでにあなたは手の中に解決策を握っているのだ。



2024年9月6日

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